【求人】世田谷区の電気工事会社の求人内容と、目指す働き方を社長が語る

世田谷区電気工事会社の求人で年収500万を目指そう!

東京都世田谷区で大手住建メーカーの新築戸建電気工事や、街路灯など官公庁の電気工事を手掛けている株式会社山崎産業です。東京都、千葉県の新築木造住宅の電気工事が主体です。

山崎産業では電気工事スタッフを募集しています。
特に経験者の電気工事士、施工管理(電気工事施工管理技士)の方は高年収が見込めます。

電気工事士、施工管理をされている方のなかには職場環境や給料に不満を感じていたり、労働環境に厳しさを感じている方も多いのではないでしょうか。

私たちは現場の効率を高め、より多くの給料と休みを社員に提供したいと積極的に働き方の見直しに取り組んでいます!

 

この記事では、求人にあたって会社のことを深く知っていただくために!
3代目社長の山崎に、会社の成り立ちから、広告代理店の社員から社長になった経緯、これから私たちが目指す姿についてまでインタビューしました。

 

まずは、東京都世田谷区にある電気工事会社、山崎産業の求人の内容から!

【求人】世田谷区の電気工事会社
主に手掛けるのは新築木造戸建の電気工事

電気工事と言っても、扱う電圧も違えば物件も異なります。
まずは私たちが主に手掛けている工事についてご紹介します!

こちらの動画では、実際に施工中の現場の様子と、作業についてご紹介しています。

山崎産業のメイン事業の一つは、新築の木造戸建住宅の、電気工事です。
大手住建メーカーと長年取引があり、安定した受注があります。

コロナ禍においても対応エリアを拡大したほど現場数が多いというのは大きな特徴です。

 

求人へのご応募は、木造住宅の電気工事をやったことが無いという方も歓迎です!
施工マニュアルを用意していますし、電気工事に携わったことがある方でしたらすぐに慣れるはずです。

 

【求人】世田谷区の電気工事会社
注目ポイントは福利厚生の充実!

求人への応募は、もちろん世田谷区外からでも大歓迎です。
様々ある福利厚生の中でも、特に社員が喜んでくれているのは

・住宅手当45,000円を毎月支給

この制度です。また、社員寮に入ることも可能です。
弊社がある東京は地方と比べると当然家賃もかかります。
会社に近いところで世田谷区などであれば尚更住宅手当は大事なポイントでしょう。

給料が安いと悩む電気工事士へ

また、その他にも「働きやすい会社づくり」を目指して、

・入社時には支度金10万円の支給
・社員寮あり
・または住宅手当45,000円を毎月支給
・退職金制度

など、可能な限り福利厚生を充実させています。

 

【求人】世田谷区の電気工事会社
求める人材像と給料

その他の業務内容も紹介!

世田谷区電気工事会社の求人

また、その他の業務は下記の通りです。

・新築戸建ての電気工事
・街路灯などの公共工事
・電気工事が関わるリフォーム
・電気自動車の充電コンセントを戸建てに設置する
・世田谷区内で一般の住宅の照明のLED化
・電気系統の設備の交換
・電源の増設
・レイアウトの変更に伴う電気通信工事
・大型イベントや店舗内装に伴う電気工事
・空調や換気設備の設置
・消防設備の設置
・家電製品の販売と設置
・木造新築電気工事
・学校のエアコン入れ替え、電源増設、体育館の照明の入れ替え
・電源の移設及び増設

 

山崎産業が電気工事士に求める資質と、入社3年後までのステップ

分かれ道

山崎産業が求める人材像はとてもシンプルです。未経験の方には、入社後に2つのステップを設定しています。

採用の際は、最初のステップとして、以下の6つのことを確認しています。

 

1.他者に献身的に動ける人、貢献できる人
誰よりも率先して他者を思いやる心を持ち、他者に貢献できる人を求めます。
例えば、朝出社して掃除ができるか、また、誰かが掃除していたら自然と手を動かせるか、次に使う人のことを考えて共通部材を置くことができるかを大事にしたいです。

 

2.正直な人
嘘をつく人は巡り巡って自分に跳ね返ってくると思っているため、何事にも正直な人を求めます。

 

3.清潔な人
お客様や他の業者さんとコミュニケーションを図りながら進める仕事なので、最低限の清潔感は必要だと思います。また、身なりは、その人の内面を表していると考えているからです。

 

4.自己管理ができる人
ルーティーンや規則を守れる人、また、自制がきく人を求めます。

 

5.適切なコミュニケーションが図れる人
これは主に挨拶ですね。「おはようございます」「お疲れ様です」など、挨拶は仕事以前に人間関係の基本だと思っています。

 

6.勤勉な人
ケースバイケースですが、例えば同じことを3回質問してしまう人は勤勉ではないなと感じます。誰かに質問をするということは、相手の時間を奪っているなと。
メモ取るなどの工夫ができるかということも大事です。

 

これらは技術の習得よりももっと基本的な、社会人としての常識だと思うので、入社時に足りていないことがある方には1年間でクリアしていただきたいと思います。
ここまでで、月収25万円~30万円ほどです。

 

次のステップでは、100平米くらいの新築木造住宅1棟を8人工くらいでできるようになったり、他社の代理人(管理監督)ができるようになったりという技術的なことを課題としています。
入社3年目までにできるよう目指していきます。

ここまで来ると月収35万円ほどで、年収500万円くらいになります。

世田谷区電気工事会社の求人で年収500万を目指そう!

求人については採用ページでも詳しく記載していますが、ご相談やお問合せはお気軽にご連絡ください♪

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ここまでご覧いただき、弊社にご興味を持っていただいた方。
次に気になるのは「どんな社長か」という点だと思います。

 

3代目の社長 山崎に、会社の成り立ちから、山崎が広告代理店の社員から社長になった経緯、これから先、山崎産業が目指す姿についてインタビューしました。

 

世田谷区で電気工事を営む山崎産業の歴史

「街の電気屋さん」から「世田谷区の電気工事業」へ

世田谷 求人 電気工事士 社長 働き方

 

先々代社長の父が立ち上げた戸越公園にある小学校の前にあった電気工事屋さんに、まさしく先々代である父が入社し、1974年(昭和39年)に独立して、奥沢で創業しました。

 

まだ大型の家電量販店がなかったので、電化製品は街の電気屋さんで買うことが当たり前でした。
この頃の山崎産業はまさに家電を売って修理もして…といった “街の電気屋さん” でした。私が子どもの頃は、1階にあった店舗に家電がズラーッと並んでいましたね。

 

事務所前に掲げている「Panasonic」の看板は、松下電器の頃からの名残りです。

 

父が創業した6~7年後、実業家として旋風を巻き起こした宮路年雄氏が創業した量販店「宮路電機」により、多くの電気屋さんが転換期を迎えます。

 

すなわち、宮路氏が打ち出した”メーカーから商品を大量に安価に仕入れて販売するスタイル” が脚光を浴び、次第に都心にも大型の家電量販店が立ち並ぶようになったのです。

 

我々のような街の電気屋さんでは価格で勝負する家電量販店に太刀打ちできないと感じた父は、山崎産業を今の電気工事業に切り替えました。
世間の煽りによって、当時、奥沢にあった4軒の街の電気屋さんは、現在、1軒を残すのみです。

 

一人親方、協力会社様募集する東京都の電気工事会社

 

元は畑違い!電気工事に飛び込んだ社長の異色な経歴

新卒で入社したのは、大手広告代理店

私は中学受験で御三家と呼ばれる麻布学園に入学して、横浜国立大から東京大学大学院へ進み、大手広告代理店の博報堂へ入社しました。
ここへ至るまでに、私には「実家を継ぐ」「電気工事に携わる」なんていう発想は1ミリもなかったですね。

 

博報堂では、今、私が社会人として仕事をしていくための基礎を教えていただきました。
バブルが完全に崩壊した就職氷河期の95年入社組で、とにかくがむしゃらに働きました。少なくとも、
昼ご飯をゆっくりと食べた記憶はないです。


周りの先輩や後輩に恵まれて、本当に様々な経験をさせてもらいました。今、とにかく充実していたあの頃を振り返って一言で表すと、迷いなく出てくる言葉は「楽しかった」
です。

 

世田谷区電気工事会社の求人

 

最初に配属された雑誌局では、特に広告ブームだった当時、企業やハイブランドがこぞって雑誌広告枠を狙っていました。
雑誌の表紙をめくると広告枠があるのですが、クライアントのためにいかに良いページを獲得できるかが広告代理店の腕のみせどころなんです。

思いっきり予算を使って世間の注目を集める広告を作っていく戦略が一般的だったので、これ以上にない華やかな場所で仕事をしていたと懐かしく思い出されます。

 

そんな仕事を毎日24時頃までしていましたが、1996年からは兼務していたデジタルの仕事を明け方までするようになりました。当時は、デジタルが何なのか…ということすら誰もがよく分かっていない時代で、ピクセルを定規で測る人もいたくらいです(笑)。

急速に拡大したデジタル領域の仕事は思っていたよりも忙しく、家に帰って寝た記憶はないくらい仕事をしていましたし、これからもずっと、そのような生活を続けていくものだと思っていました。

 

父の跡を継いで電気工事業へ。2度の決意

1999年、入社から5年が過ぎた28歳の時、結婚を機に博報堂を退社しました。
結婚を機にというと寿退社のようですが、父の体調が思わしくなく、私が山崎産業の跡継ぎになろうと思ったんです。
ひとりっ子でしたし、これまで育ててくれた父に恩返しをしようと覚悟をして家業へと足を踏み入れたのですが、半年しかもちませんでしたね。どうしても耐えられなくて逃げ出したんです。

 

そうして、2000年にTBSに転職しました。
ここでは、今までの概念が吹き飛ぶほどの多くの刺激がありました。放送物を作るために、匠の集団が本気で取り組んでいる様子を見て、本気で食らい付かないと置いて行かれるような環境でした。


当時は、こんな環境は他にないと思っていましたが、家を造ることを始めとする職人の世界と似ているんですよね。一流の人から学ぶことの意味と心構えを教えていただいたと思っています。
出来る人の中でやっていかないと、成長への道のりは遠いということを学ばせていただきました。

 

TBSでは、モバイルやウェブサイトの立ち上げに従事しました。その後、山手線にニュースを配信したり、ワンセグやデータ放送を立ち上げた後、BS放送へ出向しました。更にスカパーに出向し、編成を担当し、体を壊して半年でTBSに戻ってきました。こんな調子で仕事は充実していて、もう実家の跡を継ぐことはないと思っていました。

 

そうして月日が過ぎて迎えた2011年の冬、TBSに戻って営業開発を担当していた頃、両親に呼ばれて「やっぱり戻ってきてくれないか」と言われました。
博報堂にいた頃と同様に仕事に浸る生活をしていたので、最初は実家を継ぐなんて選択は毛頭ないと思っていましたが、何度も何度も両親と話すうちに家業を継ごうと決めました。2013年のことです。

 

間もなくTBSを退職し山崎産業に入社しましたが、朝だけ出勤した後は、役員などを兼務させていただいたIT企業2社に出勤するスタイル…完全に兼業でしたね。

 

兼務させていただいた企業は、マザーズに上場している会社「モブキャスト」と「オークファン」で、どちらもオーナー社長のもと執行役員を経験しました。


今までのどの仕事と比較しても、オーナー社長の捉える地平線が自分とあまりにも違い、おそらく今でも完全には理解できていないと思います。
しかし、オーナー社長の側で仕事をしたことで、オーナーとは、物の見方1つ取っても多方面に気を回して目を配っていると学べたこと、また、80人、100人規模の組織で部長職をさせていただき、多くの人に対してのマネジメントを学べたことは、非常に貴重な経験です。

 

そんな生活をしばらく続けて、山崎産業をメインとしたのは2018年くらいでした。

 

世田谷区で「家業」を電気工事の「企業」として飛躍させるために…

山崎家の「家業」を、広い世の中ではばたく「企業」へ

世田谷区の電気工事会社の求人概要と社長

家業を企業に…という言葉は、中学・高校のスキー部で20歳ほど先輩にあたる先輩に父が亡くなったことと、そして自分が社長になることを報告した時にいただいた言葉です。

 

この言葉が今の私の血となり肉となり、この言葉のおかげで今日の私があると思っています。

 

山崎産業に腰を据えた時に感じたのは、当然のことながら、これまで働いてきた環境とのギャップです。
何せ「家業」が色濃く残っているので、色々なことが “なあなあ” で進んでいるんですよね。
そこで、“なあなあの良さ” は会社のカルチャーとして守りつつ、山崎産業の存在意義を見つけるために ”なあなあによる弊害” を改善しようと動き始めました。

 

家業を企業にするために、まず着手したことは働き方改革です。
サラリーマンとして当たり前だと思っていた残業代とか36協定とか……1つ1つの家業のパーツをとりだして、企業のパーツに変更して入れなおすことにしました。

社長なので一気に改革しても良かったのですが、これまでのことをNGとするのではなく、”なあなあ” だからこそ保たれていたバランスを感じ取り、少しずつ慎重に変えていきました。

 

具体的には、本当に基本的なことです。
役職名に対して役職手当をつけることで役職の意義を明確にしたり、組織として指示命令系統をクリアにしたり、まずは曖昧になっていた、職位・権限の明確にしました。あとは、給料体系を明確にしました。「どうしたら昇給するか」ですね。
その結果、社内の風通しが良くなりました。

 

電気工事士ひとりひとりに経営の感覚を

経営のイメージ

 

山崎産業は、会社の会計をガラス張りにしています。
私が社長に就任した時に心に決めた「家業を企業に」を実現するためには、経営の悩みを社長だけが感じても会社は良くならないなと感じたので。

私がサラリーマンだった頃は、自分が今、どれくらい稼いでいるのか・今、いくらの仕事をしているのかということをいつも明確に把握していました。
自分がしている仕事は会社の中でどの役割を担っているかを知り、従業員皆が同じ経営感覚を共有することが会社の未来に繋がると思っています。

例えば、社長である私が「経営がやばいな」と言った時に、社員たちとの間で「やばい」の温度感を揃えておくことが必要だなと。

 

会計管理を公明正大にしたことによって、従業員全員が山崎産業の立ち位置を正確に把握でき、家業を企業に飛躍させるうえで必要なこと感じ取れるようになったと感じています。
実際に、社員が能動的に営業をかけて仕事を取ってきたり、回転率を上げるためにはどうしたら良いのかを考えたり、ひとりひとりが仕事に対して主体性をもって動ける好循環が生まれました。

 

労働条件の改善としては、有給休暇や残業時間のコントロール等は労働基準法以上の水準で整備できています。
最近は家族を持つ社員が増えているため、家族手当や保養所の利用等、いつも社員を支えてくれている家族にも喜んでもらえることをしています。

 

これからの山崎産業は電気工事を軸に進化の歩みを止めたくない

電気とビジネスマン

何度も出てきているキーワードですが、「山崎産業を家業から企業に成長させたい」と考えています。そのためには、会社規模を拡大させる必要があり、経営感覚を持った技術者を育てていきたいです。

私が定年を迎えるまでの10年間で年商を2桁億円にしたいですね。

そして、これからは人口が減っていき、新築戸建ての需要も減少すると見込んでいます。
電気工事は残しつつ、業態転換についても前向きに戦略を立てていきたいですね。

 

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いかがでしたでしょうか?

世田谷区の電気工事会社の求人にご興味がありましたら、ぜひ一度見学にお越しください!

 

気になった方は簡単なご質問からでも構いません。
弊社を一緒に盛り上げてくれる方のご応募をお待ちしております!

 

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